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7・各流謡本

七ー1・2

宝生流
寛政版謡本

寛政十一年
(一七九九)刊

宝生英勝刊

河村隆司氏蔵

 宝生流のはじめての版行謡本。当時の将軍家斉は宝生流の能の指南を受けた人物で、寛政年間(一七八九―一八〇一)は宝生流の黄金時代であった。当時の宝生大夫、宝生英勝が編纂し、徳川家の分家、一橋家の後援によって刊行された。同じ上掛りの観世流の謡本と比較して、本書には、能の成立時代に近い古い詞章を保ち、江戸時代にはほとんど演じられなくなっていた曲を取り入れるなどの特徴がある。宝生流が、伝統を重んじてきた流派であることがうかがわれる。

七ー3

進藤流内組謡本

刊年刊者不詳

味方健氏蔵

 進藤流は、観世座の脇方(脇役の一種を勤めた流派)の進藤流の謡本。脇方は、江戸時代には能の上演の地謡(能の中のコーラス部分を装束を着けずに謡う役)のリーダーを勤める役であり、能の謡全体の統率者でもあった。江戸時代に、一般の人々への謡の普及に努めたのも脇方である。進藤流の謡本は、江戸初期には観世流に次いで多く、これも、刊年不詳ではあるが、そのような謡本のうちの一冊であろう。ただ座付脇であるから、本文・節付において観世本文となんら選ぶところはない。

七ー5

下掛り内組横型本

貞享四年
(一六八七)刊

丸屋源兵衛刊

ARC蔵
(藤田俊夫氏寄贈)

 下掛り謡本最初の懐中本(携帯のための本)。詞章は車屋謡本(八)の系統で、一部の注記には井筒屋本(七ー4)の影響が見られる。

七ー6

金剛流謡本

明治十五年
(一八八二)刊

山岸弥平刊

味方健氏蔵

 金剛流のはじめての刊行謡本。第一冊の冒頭(写真)に、当時の金剛流の家元、氏成(右京)が序文を書い ている。版下も同人という。展示部分は、《敦盛》の一部で、朱筆の書き入れがある。これは、金剛の座付脇(脇役を勤める流派)だった高安流の演出を書き込んだものである。

七ー7

喜多流安永版謡本

安永五年
(一七七六)刊

戸倉屋喜兵衛
須原屋茂兵衛刊

味方健氏蔵

 ともに喜多流の刊行謡本。七ー7は比較的回数多く演じられる曲百五十番(内組)を収め、文化版はその他の曲四十五番(外組)を収め、二種で一揃いとなる。文化版には当時の大夫だった喜多健忘斎古能の刊記があり、大夫公認の謡本だったことが知られる。安永版も大夫公認本と推測される。大夫公認の本としては、喜多流では最初の刊行謡本である。

七ー8

喜多流文化版謡本

文化三年
(一八〇六)刊

須原屋茂兵衛刊

味方健氏蔵

七ー9

観世流
改訂本刊行会本

大正四年
(一九一五)刊

味方健氏蔵

 当時の文人であり、国文学者であった丸岡桂が、観世流の中で一派を立てた観世清之とともに刊行した本。改訂本刊行会の謡本は、詞章や節付を読みやすくし、詳しい注を入れた近代的な謡本で、他の謡本制作に大きな影響を与えた。初版は明治四十一年(一九〇八)である。
清之は観世大夫家の分家である観世銕之亟家の五世、観世紅雪の弟。一時、観世流から分立して一流を名のった梅若家の養子となり、家名六郎を名のったが、のち梅若家を出て実家の観世姓を名乗った。稽古は養父(初代梅若実)に受け、その謡いぶりを踏襲した。梅若一門は、独自の本を刊行するまで本書の系統の謡本を教本とした。
 本書を刊行した丸岡桂は、後の能楽関連の出版社、能楽書林の基礎を築いた人物で、本書の系統の本と後の梅若一門の謡本は、能楽書林から出版されている。

七ー10

わんや書店刊
金春流
大正正本一番綴本

大正十三年
(一九二四)刊

個人蔵

 金春流の家元、金春光太郎・金春栄治郎・桜間金太郎の校閲のもと、新たに改訂を加えて石版刷で刊行された本。それまでの金春流の謡本とは節付の注記を改訂し、曲の解説を示した丁を加えるなど、全体に内容が詳しくなっている。

七―11

現行謡本

個人蔵 右より、宝生流(わんや書店)、喜多流(喜多流謡本刊行会)、金剛流(檜書店)。

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