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3・江戸中期の観世大夫と謡本


三―1

正徳六年弥生本
五番綴

正徳六年三月刊

袋綴

近衛流書体

味方健氏蔵

十三世観世大夫、観世滋章が監修し、刊行した謡本。百曲、二〇冊。展示本のほかには一本しか知られていない、珍しい本である。展示した奥付部分には、この百番の本は家伝のとおりだが、内容を少々改めた、と書かれ、正徳六年弥生の年記と、「観世織部 滋章」の署名、花押が付される(「織部」は滋章の称号)。奥付の版下は滋章自筆と認められる。大夫自筆の奥付の版下は元和卯月本以来である。
  本書の詞章は元和卯月本系だが、版下や装幀は、京都の書肆、敦賀屋九兵衛が寛文三年(一六六三)に刊行した観世流節付の謡本などがサンプルになっているらしい。本の型も元和卯月本よりはやや大きく、後の明和改正本(三―5〜13)に近い。
  本書を版行した山本長兵衛は、江戸初期からの京都の書肆で、謡本を数多く出版した。当初は観世大夫との直接の関係を持たずに活動したようだが、本書刊行の際には大夫と提携したらしい。江戸後期にも、大夫公認本を刊行したのは山本長兵衛だった

三―2

江戸中期刊
正徳六年弥生本
後刷本

味方健氏蔵  
正徳六年弥生本(三―1)の後刷本で、同書に二冊を加えた、一一〇曲、二二冊の本。正徳弥生本を監修した大夫、観世滋章の次代の十四世大夫、観世清親の時代に刊行されたと推測されている。この本をはじめとして、観世流の内組本(上演回数の多い百番程度を収めた本)は、昭和初期まで、それまでの百番ではなく、百十番が揃いとされることになった(現在は百番に戻っている)。
  本書は、表紙に打出文様(表面に凹凸を付けることで表す文様)の入ったデザインが、江戸初期の元和卯月本系の謡本からの変更点として特筆される。表紙の地色は浅葱で、文様は、方形渦巻の斜格子に、菊菱・丸菊・唐花である。
左 同

三―4

江戸後期刊
正徳六年弥生本
後刷本

味方健氏蔵  
正徳六年弥生本の後刷本で、江戸後期の十七世大夫、観世清尚の時代に刊行されたと推測される本である。五番綴一一〇曲、全二二冊。展示したのは《弓八幡》の冊である。
  本書は、江戸中期の正徳弥生本系以後に出版された、次に展示する明和改正本(三―5〜13)より後に、その影響を受けて刊行された本で、それまでの正徳弥生本系とは、詞章や節付の注記に相違点が多い。収録曲にもやや違いがある。展示した冊の《弓八幡》は、江戸中期までの正徳六年弥生本系にはなかったが、明和改正本に倣い、《鵜羽》に替えて収められた。以前の徳川五代将軍綱吉が《鵜羽》を嫌ったことと関係するようである。
  本書の表紙にある巻水の打出文様は、大正年間までの観世流謡本の多くに引き継がれ、明和改正本(三5〜13)の題簽の群翔千鳥文様と並んで、観世流を象徴する二大文様となった。この巻水文様を別名「観世水」とも呼ぶ。

三―5

明和改正本
内組
第二十冊奥付

河村隆司氏蔵

明和二年林鍾(六月)

出雲寺和泉掾刊

袋綴

近衛流書体

 
十五世観世大夫、元章によって刊行された五番綴の謡本。内組(上演回数の多い曲百番程度を集めたもの)二〇冊、外組(上演回数の少ない曲を集めたもの)二〇冊から成る。本冊は、内組で唯一奥付のある、第二十冊(最終冊)である。これまで謡本を刊行したことのない、幕府の御用書肆、 出雲寺和泉掾の刊行。
 元章は、八代将軍徳川吉宗の次男で国学者だった田安宗武の後援や国学者で歌人だった加藤枝直などの協力のもと、それまでの観世流の謡の詞章を大幅に改訂し、それまで観世流の上演曲でなかった曲を多く取り入れるなど、それまでの謡本を一新した。
 しかし、詞章の大改訂は周囲には不評で、元章の没後、数ヶ月で明和改正本は廃止された。ただし、すべてが旧に復されたわけではなく、新しい演曲や舞台上の演出に関する詞章の改訂、節付 の記号などは、後代に受け継がれて今にいたる。

三―6

同 第一冊表紙

三―7

明和改正本
外組第四冊

佐保山・布留・室君
泰山府君・鶴亀

河村隆司氏蔵  
明和改正本の大改訂の一つに、それまで観世流の上演曲でなかったものを取り入れた点が挙げられる。外百番二〇冊には、そのような新収曲が多い。本冊では、《鶴亀》以外すべて新収曲である。
  この中で《布留》は、観世家に世阿弥の自筆の台本が伝えられ、《泰山府君》 は、世阿弥の能伝書に記事が見える。能の大成期を意識した復古的な傾向が、明和改正本の大きな特徴である。

三―8

同 第十三冊

三笑・丹後物狂・弱法師
高野物狂・檀風

 
展示箇所は《高野物狂》の本文。これは、明和改正本の新収曲である。明和改正本が廃止された時に、本曲も廃されたが、明治期に明和本を底本として復曲した。室町時代以来長く途絶えていた曲が明和本をきっかけとして観世流に復活した例は少なくない。

三―9

同 習十番

  
能の曲の中で、とくに難しいとされ、師からの特別な相伝を必要とする曲を「習」と呼ぶ。展示品は、その「習」一〇曲を、内・外百番とは別に、一曲一冊ずつにしたものである。これと三―5から三―8までの内・外百番とを合わせたものが、二一〇番の曲を集めた明和改正本の全体である。謡本で習を一般曲と区別したのは明和改正本が初めてであった。
 展示したのは《卒塔婆小町》《道成寺》《木賊》の三本。

三―10

二百十番謡目録

観世元章著

明和二年頃

出雲寺和泉掾刊

河村隆司氏蔵

三―9までの、明和改正謡本の全曲の目録である。明和二年卯月(四月)の観世元章の序文がある各曲にその作者名を付している。「元清」は世阿弥「清次」は観阿弥、「氏信」は世阿弥の女婿だった金春大夫、金春禅竹で、室町時代の能の大成期の先祖の名を挙げている。作者名は合っているものもあるが、根拠の乏しい資料に拠っているためそのまま信じることはできない。このように古い能作者の名を記す点に、元章の能の大成期の先祖への意識の強さを見ることができる。
 右の丁には、旧蔵者の塩小路光貫の署名と花押がある。塩小路光貫は貴族で、光貫が寛政年間(一七八九―一八〇一)に筆写した観世家の能の伝書が伝わっている。観世家と近い関係にあった人物である。今回展示した元章関係の資料三―9〜13と特別展示品『舞台図』に、同様に塩小路光貫の署名と花押が見える。

三―11

独吟八十五曲目録

観世元章著

明和二年頃

出雲寺和泉掾刊

河村隆司氏蔵

 
三―12に展示する明和独吟の、全八五曲の目録である。明和独吟は、明和改正本の内組(三―5・ 6)・外組(三―7・8)・九祝舞(三―13・14)と合 わせ、明和改正本の一部をなす謡本。独吟は、一曲の聞かせどころや舞台上で演じない謡のためだけの短い曲(謡い物)を、座って一人で謡う形態の謡のことである。謡本の中には、このように謡のためだけの曲が収められたものもある。
  本書と明和独吟には奥付がないが、内組・外組 とともに明和二年頃に刊行されたと推測される。

三―12

明和独吟
第一冊

河村隆司氏蔵  
「明和独吟」は、独吟(ひとまとまりの謡い物 を、一人で謡う形態)のため、曲とし完曲でなく、 独立した謡い物を観世元章が集めて編纂したも ので、やはり謡本の一種である。
 謡い物を集めた謡本は、曲舞・闌曲等と称して、 これ以前にも多くあったが、本書は、それらの所 収曲に加えて特殊な曲を多く収めている点が筆 される。
 展示した第一冊には、『万葉集』の中の長歌に節付をした変わった曲ばかりが収められる。展示部分は『敏馬浦』。本冊では全体に、このように難読の謡い物の曲名に、片仮名で振り仮名を付けている。国学の影響を受けた元章らしさがとくによく表れた冊と言える。

三―13

九祝舞

明和二年頃

出雲寺出雲掾刊

河村隆司氏蔵

 
観世元章が監修した明和改正本の一部をなす本 で、特別に神聖視される曲《翁》(式三番)の九種類の謡を収めた謡本である。
  江戸時代には数多くの謡本が刊行されたが、《翁》 の謡を収めたものは他にない。それは、《翁》の謡はプロの能役者だけが謡う特別な曲で、一般の人々には謡う機会がなかったためであろう。元章が他の謡本とともに本書を刊行したことは、この謡本が素人ばかりでなく、能役者を対象として刊行された本であることを物語っている。
  三―13は、他の明和改正本と同様、紺表紙に群翔 千鳥文様の題簽が貼られたもの。三―14は、表紙が改装されたもので、料紙も三―13とは異なる。
両者の本文は同版である。

三―14

九祝舞
丹表紙本

三―15

天明新十番
五番綴

天明四年(一七八四)
季夏(六月)

山本長兵衛刊

味方健氏蔵

 
明和改正本は廃止されたが、観世元章が明和改正本に取り入れて観世流に復活させた曲は、後代まで上演曲として引き継がれた。それらの曲
(代主・忠信・吉野天人・烏帽子折・合甫・逆矛・第六天・住吉詣・恋重荷)に《大瓶猩々》を合わせて、京都の書肆、山本長兵衛が五番綴二冊で刊行したのが本書である。
 山本長兵衛は、江戸初期の創業以来、大夫とはは無関係に観世流節付の謡本を数多く刊行してきたが、この頃から大夫と提携するようになったらしく、やがて観世座付のワキ福王(京観世)の門人となっている。
 観世流節付の謡本は、大夫公認本・山本長兵衛本とも、元和卯月本(二―5〜9)に影響されて、中本以外は、近衛流書体の本ばかりであったが、 この本は御家流書体(江戸幕府の公式文書に用いた書体)である点が珍しい。

三―16

山本長兵衛刊謡本
内組

天保十一年(一八四〇)
孟春(一月)刊

五番綴

味方健氏蔵

 
山本長兵衛が観世大夫と提携して刊行したらしい本で、明和改正本廃止後の観世大夫の公認本。 
 内組(上演回数の多い曲百番程度を集めたもの)一一〇番(二二冊)、外組(内組より上演回数が少ない曲を集めたもの)六二番(一三冊)で、計一七二曲が、当時の観世流の上演曲すべてである。
 内組の所収曲は正徳弥生本(三―1〜4)系の本の覆刻。外組の所収曲は十九世清興によって新しく選ばれたもので、昭和十年代半ばまで観世流の外組として用いられた。全体として、明和改正本で大きく改変された詞章が旧に復され、幕末から近代までの大夫公認の謡本の基礎となった本と言える。本書の外組の一部は、天明新十番(三―15)と同版で、同本を組み込んだ形である。

三―17

同 外組


月岡耕漁の絵画《翁》
立命館大学ARC蔵
UP1343 1344 1345『能楽百番』
 能画を数多く描いた明治・大正期の画家、月岡耕漁の作品である。能の中で、信仰儀礼的要素が強く、他の演目とは性格が異なる曲《翁》の上演を描いている。
 《翁》は、神聖視される老人の面を、演者が舞台上で掛けて行われるもので、五穀豊穣・国土安穏を祝う言葉と、それを呼び込む舞から成っている。その演出には、現在十種類ほどのバリエーションがある。
 その謡は、一般の人が謡うものではなかったためか、江戸中期まで《翁》の謡を収めた観世大夫公認の版行謡本はなかったが、謡本制作の際さまざまな改革を行った十五世の観世大夫、観世元章は、明和改正本の一冊として、《翁》の謡を集めた『九祝舞』(三―13・14)を刊行した。その時から、《翁》の謡(「神歌」とも言う)は、謡本の中に収められることになったのである。

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