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2・観世大夫黒雪と謡本

二-1

慶長五年(一六〇〇)奥書
観世黒雪節付謡本
松風村雨

表紙
片山九郎右衛門氏蔵
 鈔写謡本(本文が筆写された謡本)である。奥書に、「慶長五 三月十一日 観世左近 身愛 (花押)」とある。身愛は観世大夫黒雪のこと。詞章の筆録者は不詳であるが、節付は黒雪によるらしい。 
  一括されている謡本は八冊で、曲目は「松風村雨」「山祖母」「にしき木」「遊行柳」「実盛」「高砂」「関寺小町」「三井寺(途中より)」である。
  本文は上掛り系だが、光悦謡本(一1〜3)や、江戸初期から観世流の詞章の主流となる元和卯月本(二5〜9)系の謡本とは、異なる箇所が少なくない。観世流の詞章が元和卯月本系に固まっていく以前の状態を留めているのではないかと思われる、興味深い謡本である。節付の注記は、元和卯月本に近い。

二-2

慶長五年(一六〇〇)奥書
観世黒雪節付謡本
山祖母

表紙
片山九郎右衛門氏蔵

二-3

慶長五年(一六〇〇)奥書
観世黒雪節付謡本
にしき木

表紙
片山九郎右衛門氏蔵

二―4

慶長五年(一六〇〇)奥書
観世黒雪節付謡本

「実盛」の冊

列帖装

近衛流書体

片山九郎右衛門氏蔵

二―5

元和卯月本
一番綴
奥付

檜書店蔵

元和九年(一六二三)頃刊

列帖装

近衛流書体

 観世流の節付がなされた最初の整版印刷の謡本で、一番綴百冊揃。展示部分(左側の丁)に、元和六年(一六二〇)卯月(四月)の奥付年記がある。実際の刊行はその年記から三年近く後で、元和六年は刊行を企画した時らしい。詞章は観世大夫黒雪の直筆、節付は石田少左衛門友雪による。
 料紙は、厚葉の雁皮紙に礬砂引(明礬を用いた表面加工)をほどこした高級品である。
 檜書店蔵本は、百冊の中の八七冊を収めていて、風格のある函に入っている(函は五―9)。

二―6

同 表紙

檜書店蔵  紺地の表紙に金泥(冊によっては銀泥も)で、曲に関連の深い情景が描かれているのが、元和卯月本のトレードマークである。表紙のほか、裏表紙と、表紙・裏表紙の見返しにも、金泥(一部に銀泥を用いる)の絵が描かれている。版本であるが、絵は版画ではなく、手描きである。料紙とともに、美術的観点からも注目される。

二―7

同 本文

檜書店蔵

元和卯月本の本文は、達筆の近衛流書体で、本書に品格を与えている。以後、夥しく版行された観世流の近世謡本の書体は、大半が近衛流であるが、それは、本書の版下になった観世黒雪の書に端を発している。本書には、角張った書体となだらかな細字の書体と二種類あり、展示部分は細字の書体の例である。

二―8・二―9

同 裏表紙

檜書店蔵  表紙と同様、裏表紙にも、金泥・銀泥の絵がある。ただし、裏表紙の絵は、曲の内容とは無関係に植物などが描かれたもので、各冊の絵は、いくつかのパターンに分けられる。右の冊は《善知鳥》の冊で、梅花が描かれる。花の色が他と異なるのは、銀泥を用いた部分である。左の冊は《楊貴妃》で、枝垂れ桜が描かれている。二冊とも山・霞の遠景をあしらう。

二―10

寛永卯月本
一番綴 

寛永〜慶安
(一六二四―一六五二)頃刊


袋綴

近衛流書体

檜書店蔵

 奥付に「寛永六年卯月」(一六二九年四月)の年記がある、刊者不詳の百冊揃の本。所収曲・本文が元和卯月本と同じで(本文は若干訂正されている)、展示した奥付にも「暮閑」(観世黒雪)が詞章を筆写し奥書を加えた本を写した、とあるから、元和卯月本の内容を継承した本と言える。近衛流書体である点も元和卯月本と同じだが、同版ではなく、本書の版はより字間を詰めている。
  「寛永卯月本」と呼ばれる本は、料紙の種類・題簽・一番綴かどうかなどの違いで数種類に分かれる。互いに覆刻(かぶせ彫り)の関係にあるらしい。料紙は薄葉の雁皮紙と普通紙のものがあり、展示した本は雁皮紙を用いた美麗な本である。
 元和卯月本系の本文が後の観世流謡本の主流になったのは、元和卯月本の普及版とも言える本書が広く流布したことに因るようである。
 小学館刊「日本古典文学全集」『謡曲集』上・下底本である。

二―11

寛永卯月本
表紙(「唐船」の冊)

檜書店蔵 寛永卯月本の表紙を、元和卯月本の同曲と比較する。美術品としての性格が強い元和卯月本には表紙に金泥・銀泥で絵が描かれているのに対し、寛永卯月本は同じ紺表紙であるが、絵はない(ただし、表紙に金泥絵が描かれる寛永卯月本も少数ではあるが知られている)。
 寛永卯月本の題簽は、本によって違いがあり、曲名が刷りではなく墨書された本もある。展示した本の題簽は、元和卯月本と同版であり、元和卯月本の題簽を覆刻したものとわかる。両者の近い関係は、このようなところにも表れている。
 展示した寛永卯月本の檜書店蔵本は、百冊のうち九六冊を伝える。

二―12

元和卯月本
表紙(同)

二―13

寛永卯月本
本文(《鵺》)

檜書店蔵  

二―14

元和卯月本
《西行桜》表紙

檜書店蔵 元和卯月本(二―5〜9)の表紙を比べたものである。表紙・裏表紙と、その見返しの絵は、金銀泥による手描きで、同じ元和卯月本でも、各セットで絵が違っている。展示したのは、別の三セットそれぞれの《西行桜》の表紙である。
 本書の本文は版本だが、絵が異なるため、本書のすべての冊に、写本と同様の稀少価値がある。
 二―15の旧蔵者、田中重太郎氏(文学博士、一九一七―一九八七)は、中古文学なかんずく『枕冊子』の権威で、本学で長く教鞭を執られた。

二―15

味方健氏蔵

(田中重太郎氏旧蔵)

二―16

同 複製本
《西行桜》表紙 

ARC蔵

二―17

五番綴寛永卯月本

寛永―慶安
(一六二四―一六五二)頃刊

袋綴

近衛流書体

立命館大学西園寺文庫蔵

 二―10・11・13の寛永卯月本と同版の本で、上の奥付も同じだが、一番綴ではなく五番綴の本。料紙は普通紙で、雁皮紙を用いた檜書店本とは、かなり印象が異なる。檜書店本よりも後刷であろう。江戸初期の謡本は、総じて、一番綴よりも五番綴の方が後に現れることからも、五番綴の寛永卯月本はやや後れて刊行されたと推測される。
 ただし、一冊ごとの曲の組み合わせは、五番綴の観世流謡本の曲の組み合わせのうち江戸初期に多いものに近いので、本書の刊行も江戸初期のうちに行われたのであろう。
 この冊の曲目は、《海士》《夜討曽我》《鵜飼》《錦木》《融》である。この中の《鵜飼》が《仏原》になっている組み合わせの本が多く、本書の組み合わせは珍しい。

二―18

同 表紙

立命館大学西園寺文庫蔵
 五番綴寛永卯月本の表紙である。栗皮表紙で、元題簽と思われる「舟」の字と直後の字がわずかに見える以外に、貼紙に書かれた字は読めない。後代の長形の題簽がその上から貼られている。表紙右上に朱書された「卅二」(三十二)の意味は不詳。
 この冊の曲目は、《咸陽宮》《船橋》《采女》《姨捨》《船弁慶》である。他の江戸初期の謡本では、一曲目の《咸陽宮》が《三輪》になっているものが多く、この冊の組み合わせは二―17 と同様に珍しい。

二―19


《鞍馬天狗》の中程の丁

立命館大学西園寺文庫蔵
本書には、朱筆・墨筆で、後人による謡い方の注の書き入れがある。この丁の上の余白部分の書き入れは、上部が切れている。このように上が切れた書き入れが本書には時々見られ、もとは現在の形よりも縦長の本であったことが知られる。
 寛永年間(一六二四―一六四四)頃から、当時の中国、清の本の形をまねて、日本でも、通常よりも横幅の細い縦長の本が刊行されるようになった。本書の形も、そのことと関係しているのかも知れない。
 この冊の曲目は《高砂》《朝長》《井筒》《鞍馬天狗》《百万》で、江戸初期の五番綴二〇冊の観世流謡本に多い組み合わせのうちの一冊分と同じである。

二―20

黒沢源太郎刊
観世黒雪正本
一番綴

寛永七年(一六三〇)
黄鐘(十一月)刊

袋綴

近衛流書体 

ARC蔵

「黒雪正本」と通称される謡本の一種で、百冊揃である。上の奥付には、この百番が「観世太夫黒雪斎」の謡をそのまま留めた「正本」である、と書かれている。この奥付は、百冊すべての末尾にある。黒雪は本書の奥付年記の前年、寛永六年に没している。黒雪と刊者の黒沢源太郎との関係は不詳だが、黒雪没後、京都の書肆の黒沢が本書を刊行したらしい。ARC蔵本は百冊揃本である。五番綴の二〇冊揃本は知られているが、一番綴の揃本は、この本のほかには知られていない。江戸初期の謡本は、同系統の本であれば、おおむね一番綴が五番綴に先行するので、この本は初版かそれに近い本である可能性が高い。版面もきれいで、版を重ねた本とは思われない。岩波書店刊「新日本古典文学大系」『謡曲百番』の底本。

二―21

同 表紙
老松・志賀・白髭
感陽宮・くれは

ARC蔵  紺表紙の本書は、寛永卯月本とともに元和卯月本の表紙の地色を継いでいる。紺表紙が当時の観世流の正統的な本の象徴で、本書もそのような本であることを示そうとしたものらしい。
 元和卯月本・寛永卯月本との目立った装幀の違は、両者が例外(二―17〜19など)を除いて半紙本であるのに対して、本書はそれより一回り小さい中本だという点である。元和卯月本の普及版的な役割を果たした寛永卯月本よりも、さらに手軽な本だと言える。寛永卯月本に二―10・11・13のように雁皮紙を料紙とする本があるのに対し、黒雪正本は普通紙の本しか知られていない点も注意される。
 題簽は長形の刷題簽(書名などを手書きでなく印刷した題簽)で、寛永中本はじめ前後を引く中本がすべて御家流書体なのに対して、この本のみ書体が近衛流。ほとんどの冊の題簽に曲名があるが、数冊の題簽は白紙である。

二―22

同 本文
《融》の最初の丁

ARC蔵

本書の書体は近衛流の達筆で、書体の面でも本文の面でも、元和卯月本を継承している。
 展示したのは曲の最初の部分だが、その冒頭に内題の曲名がないのが、当時の観世流謡本の特徴である。下掛り系の謡本は、ほとんど内題を記す形をとっている。当時の観世流謡本は、五番綴の本にも同様に内題がないので、その部分の曲名がわかりにくく、曲と曲との変わり目も判別しにくい箇所がある(一番綴を後に五番綴に仕立たということもあり、その場合、後から内題を入れて、数行、行送りをしている版も見られる)。
 元和卯月本系だけではなく、光悦謡本(一―1・2・3)も内題のない形式で、これは、近世初期の観世流謡本が一番綴を基本としたことと関係するのかも知れない。
 本書は桐函に収められている。函は五―10に展示している

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