消息

26 明正天皇宸翰消息 一幅 (三二、〇×四五、〇)
明正天皇(一六二三〜九六)は後水尾天皇の第二皇女、母は将軍徳川秀忠の女東福門院和子。
紫衣事件を契機として突然退位した後水尾天皇の後をうけて、七歳で即位し、奈良時代の称徳天皇以来の女帝となった。
在位は一六二九年〜四三年。本消息は、山科にある十禅寺再興につくした住持江玉真慶に宛て、守本尊の製作を依頼したものである。
真慶は『拾遺都名所図会』巻二に「此法師異相の道人にして牛に騎、**(衣偏+藍、衣偏+)を着しなから参内せしといふ」と記された僧侶だが、
同僧に深く帰依した明正天皇は、十禅寺の伽藍整備にも尽力している。