消息

25 後陽成天皇宸翰消息 一幅 (三七、〇×九五、〇)
後陽成天皇(一五七一〜一六一七)の父は正親町天皇、母は勧修寺晴右の女晴子(新上門院)。
在位は一五八六年〜一六一一年。天皇は学問や文芸を好んだことで知られている。
古今集秘説の消滅を恐れた天皇は、勅使を派遣して秘説を保持している細川幽斎を説得し、田辺城から退城させたり、木活字の慶長勅版を版行したりと、文化史上にも大きな足跡を残した。
二十数名の子に恵まれ、諸寺院の門跡へ入室した法親王も多いが、伝えられる後水尾天皇との確執は、最後まで解けることはなかった。
本幅は、新春にあたり、天下泰平、国土豊饒などの祝辞を述べたものである。
後陽成天皇の書風は豪壮で気宇壮大な、それまでの天皇にはみられなかった書風であるところに大きな特徴があるが、本消息にもその特徴がよく表れている。
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