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21 後花園天皇宸翰女房奉書 一幅 (九一、二×三一、七)
後花園天皇(一四一九〜七〇)の父は伏見宮貞成親王(後崇光院)、母は庭田経有の女幸子(敷政門院)。
在位は一四二八年〜六七年。梶井門主義承が亡くなった跡、置文の通りに事が運ぶように指示したものであるが、
新門主となったのは後花園天皇の猶子尭胤法親王であったため、こうした文書が出されたのであろう。
いわゆる散らし書きで、宛名の毘沙門堂は、天台宗延暦寺派の寺院である。現京都御所の北側に所在していた。
毘沙門堂伝来との墨書が箱にある。なお同箱に納められている古筆了佐の極札には「後土御門院」とあるが、
父貞成親王から影響をうけた書風から、後花園天皇とするのが妥当である。
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