消息

19 伝後宇多天皇宸翰仮名消息 一幅 (二八、四×四七、六)
後宇多天皇は(一二六七〜一三二四)父は亀山天皇、母は藤原実雄の女佶子(京極院)。
在位は一二七四年〜八七年。鎌倉時代後期、東寺の再興をはじめとする真言密教の発展に力を尽くし、
天皇自身も仁和寺広沢流の禅助、醍醐寺小野流の憲淳を戒師として伝法灌頂をうけた。
本文書は東寺観智院伝来とされており、宛先も東寺長者であった禅助宛と伝えられている。
消息の内容は何らかに対する返礼を述べ、春にはお会いしましょう、といったものである。
なお文書を納める外箱・内箱には、後宇多天皇宸翰とともに、「伏見天皇宸翰」とする紙も貼られ、
混乱がみられるが、後宇多天皇筆とするのが妥当であろう。