和歌懐紙

04 後崇光院冬十首和歌 一幅 (二五、四×三三、一)
後崇光院(一三七二〜一四五六)は伏見宮家三代、元服後、貞成(さだふさ)と名乗る。
皇位に就くことはなかったが、長男の彦仁親王(後花園天皇)の践祚後、文安四年(一四四七)、太上天皇の尊号をうけるも、翌年には辞退した。
ここに記された和歌を「禁裏御会和歌断簡」とする考えもあるが、むしろ後崇光院が残した控えか、
あるいは伏見宮家和歌会のものである可能性が高い。なお箱書には「東寺伝来」と墨書されているが、伝来の詳細は不明である。