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1 愛染明王像                鎌倉時代

 愛染明王は愛染王・染愛王ともよばれるが、愛染とは梵語名の「ラーガ」を漢訳したものである。赤い円相を光背にして蓮華座に座す愛染明王は、獅子冠を頭上に戴き、一面三目の忿怒相である。愛染明王は和合や親睦などを祈る敬愛法の修法本尊として用いられるが、その修法は秘法である。日本における愛染明王に対する信仰は、九世紀に発生し、院政期になって隆盛したといわれるが、その主な支持者は上級貴族たちであった。本像の伝来は不明で、制作時期は鎌倉時代後半以降のものであろう。

 
2 羅刹天像                  鎌倉時代

 羅刹天は十二天の一つで、世界の方角を守護する神々のうち、西南方面を守護をする護方神で、かつ破壊・滅亡を司る神。羅刹は梵語ラークシャサの音写。この像の基本形は『別尊雑記』などによると、身に甲冑を着して白獅子に乗り、右手に剣をもって、左手は指を二本立てて剣印を結ぶものであるが、本羅刹天は白獅子には乗っていない。ただしこうした像様は、国宝「十二天屏風」(東寺所蔵)の羅刹天にもみられる。なお十二天屏風は伝法灌頂の儀式で用いられた。本像の伝来は不明で、制作時期については鎌倉時代後期と伝承するが、それよりも下る可能性もある。

 
3 別尊雑記 観音部                  鎌倉時代

 『別尊雑記』は、心覚(一一一七〜八二)によって撰集された密教図像の解説集。一二一の尊法を如来部・仏頂部・諸経部・観音部・菩薩部・忿怒部・天部の七部に大別し、密号や種子や印言などが説明され、尊像や曼荼羅図の具体的な造形が白描図像によって描かれている。
 観音部の本巻には、聖観音と千手観音が登場する。観音菩薩は、慈悲にもとづく衆生の現世的な救済や利益を与える尊像で、密教と結びつき、十一面、千手、如意輪、馬頭など三十三の変化身となり、救いを求める人々の前に現れる尊格である。
 本巻奥書には、徳治三年(一三〇八)に書写した旨が記されているが、伝来元は不明である。朱字で注記されている「白六(緑)」は、白っぽい緑色のことで、これで点を加えたとの説明がある。『別尊雑記』は、『大正新脩大蔵経』図像第三巻に仁和寺本が所収されている。


    (第9紙)

 
4 曼荼羅集                        江戸時代

 『曼荼羅集』は、興然(一一二一〜一二〇三)によって撰集された。今日でも曼荼羅の図解事典としても活用される。
 興然は、勧修寺慈尊院の僧、寛信の弟子で覚禅の師である。『曼荼羅集』三巻は、別尊曼荼羅八十一種の集大成であり、各曼荼羅の典拠となる儀軌と曼荼羅があわせて撰集されている。熱海市のMOA美術館には、承安三年(一一七三)玄証筆写本(重要文化財)が所蔵され、その他、『大正新脩大蔵経』図像第四巻には京都大通寺本が所収されている。
 本冊は奥書から、興然が撰した図像を光宝がまとめ、天福元年(一二三三)定真によって図像が写され、隆聖が油紙に図像を写して完成し、これを延享五年(一七四八)東寺観智院賢賀が補修したものと判明する。東寺観智院伝来本。江戸時代に写されたため、色彩鮮やかで美しい曼荼羅集となっている。

「祈雨大曼荼羅」


(中巻・13オ)


(中巻・12オ)                          (中巻・11ウ)


(下巻・3オ)

(下巻・4オ)

 
5 覚禅鈔 大威徳法                         鎌倉時代

 『覚禅鈔』全一四一巻は、覚禅(一一三四〜一二一三以後)によって寿永二年(一一八三)〜建暦三年(一二一三)の間に編纂された東密系最大の密教図像集。恵什の『図像抄』、心覚の『別尊雑記』を踏まえ編集され、百巻鈔、浄土院鈔、小野百巻鈔との異称を持つ。本文は、経典や儀軌、古記録からの抄出や口伝によって整理され、尊像や壇図、曼荼羅や修法壇などの図像や意味が説明されている。本文に引用された経典や口伝は、覚禅が受法した真言宗の醍醐寺や勧修寺の法流である小野流に限らず、仁和寺を中心とする広沢流の口伝、他宗である天台宗の口伝や次第、仏教を飛び越えた外典である漢籍までも使われ、中には現存を確認できないような典籍もが引用されている。
 『大正新修大蔵経』図像第四巻・第五巻、財団法人鈴木学術文庫編『大日本仏教全書』第五十六巻・図像部六、nl三一に全巻が翻刻所収されている。
 奥書によると延慶三年(一三一一)実遍によって書写されたことがわかる。藤井本『覚禅鈔』は、大正蔵本と仏教全書本より古い年代の最終奥書を持つ大威徳法であり、両本に未記載の図像一点を収めている。但し、補修の際、紙継ぎの順番を誤ったために生じたと思われる錯簡がある。
 第二二紙に描かれている下の図像は、藤井本『覚禅鈔』大威徳法に描かれた図像である。他の異本の同箇所には、これとは全く異なる五壇図が描かれている。この第二二紙の図像は、下に挙げた『覚禅鈔』大自在天の図像である。他の異本と藤井本の前後の文字内容は同じである。書写者が写し誤ったのか、本来、大自在天の図像として描かれるものが、何らかの事情で違う図像になってしまったことがわかる。百巻鈔との異称を持つ大量の巻数の『覚禅鈔』を写す際、必ずしも、一巻分の図像と文字を同時に写していなかったことを示すものとしても考えられる。

【奥書】
書本云、
  寿永三年二月十九日二月十九日亥剋抄之了、
同月廿四日書写之、 金剛仏子覚禅
承久第三暦 正月廿九日戌剋於平等寺書了、
嘉禄二年二月廿八日未剋書写了、
         於高野山五仏院書之了、
正応三年 广 十二月十六日於釈迦文院書写了、
正安二年 四月卅日
延慶三年 五月廿一日於菩提院書写了、 實遍


(第22紙)

 


(第5紙)

(第6紙)

(第7紙)

【参考】
『新脩大正大蔵経』図像第五巻所収「覚禅鈔巻第百十四(大自在天)」図像373.大自在天(八臂像)より

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