馬鳴菩薩

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めみょうぼさつ


画題

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解説

画題辞典

馬鳴菩薩、佛滅後二百年西印度に生る、始め外道に歸せしが、後冨婁那尊者の雄辯に論破されて佛數を信ずるに至る、世智辯オ一世に秀で又詩才文才あり、北天竺迦濕彌羅に赴き、迦膩色迦王の保護を受け、大乗佛教を鼓吹す、曾つて頼吨和羅の曲を作り、自ら楽中の人となり、之を王城に奏せるに、音調悲壮五百の王子を感傷せしめて出家せしめたりといふ。その像は佛画として描かるゝ所あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

馬鳴は梵名阿湿縛瞿沙〈アシユヷクホーサ〉、西印度の人、釈尊の滅後七百年代に出生し、始め外道に帰して仏教に抗したが、脇尊者富婁那に論破せられて仏教に帰し却つて外道及び小乗教を摧破して大乗仏教を興起した、『起信論』は実にその作であるといふ、而して智弁世に絶し、『頼吒和羅』の曲を作つて、自から楽中の人となり、これを王城に奏して五百の王子を忽ち出家せしめ、また一言法を説いては牛馬も感動して落涙したといふ、著書には『起信論』の外に『大荘厳論』『仏所行讃経』等がある。  (仏教辞林其他)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)