秋夜長物語

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あきのよながものがたり


画題

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解説

画題辞典

西山の胆西上人というが、梅若丸の事によりて道心を起したること記るせる物語で、永応頃の作ならんという。之を絵巻に画けるものに、

土佐光長の筆あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

室町時代の物語で、梗概は後白河天皇の御時、瞻西上人がまだ桂海といひ叡山東塔の律師であつた時、三井寺の幼児梅若を見初め、これと契を結んだことが因となり、両山の間に争が起り、三井寺は焼き払はれ、梅若は勢多の橋から身を投げ、桂海は西山の岩倉に庵を結び、後に東山の雲居寺に入り行ひすますに至る、作者は詳かでないが、『考古画譜』には左の如く記してゐる。

道の幸に云ふ、秋夜長物語詞書をうつす、寂蓮法師の筆也、絵は光長といひ伝へたれどもさだらかならず、躬行按ずるに、此のさうしは、西山の瞻西上人、梅若丸の事に依りて、道心おこししものがたりなるが、古物語類字抄に、永応の頃などに出でしものならむといへり、げに文体さこそ見えたれ、さて此の物語本文に、後堀川院の御宇に、西山のせんざい上人とて云々と、時代さだかに記したるを、その御代よりもやゝ古く、かの僧正の未生已前なりけむ、長寛文治の頃なりし、寂蓮光長に、この物語の書画あらむこと、所謂道風朝臣の朗詠集のたぐひといひつべし。

此の『秋夜長物語』を絵巻に画きたるものとしては、土佐光長の筆といふもの伝へられ、近くは、帝国美術院第一回展覧会に、梥本一洋の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)