池田春野

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いけだの はるの


画題

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解説

前賢故実

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素直で典故に精通。天長四年、正五位上、掃部頭を務め、從四位下に昇進した。同十年冬、大嘗会に備えて、仁明天皇が加茂川に幸し身を清めることがあった。そのとき、天皇に随行していた行列の中にいた春野は、身長が六尺、白い髪の毛と髭があり、装束を古体に整えられたため、人々の注目を集めていた。春野は諸公卿を見て、「装束の裾を地面に引きずるのは通常の礼服の作法で、神事に相応しい古体の装束ではない」と歎き、自らの装束を指してこれこそ古体の装束だと説明した。春野の装束の裾は短くて着ている袴と襴が見えるようになっていた。これに驚いた皆は「これからはこれに倣うべきだ」と感心した。承和五年卒、享年八十二歳。

(『前賢故実』)