椎根津彦

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しいねつひこ


画題

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解説

前賢故実

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初名は珍彦という。よく曲浦というところで釣をしていた。神武天皇の東征の時、珍彦は速吸之水門で天皇を迎えて、道案内人として天皇に仕えるようになった。官軍が菟田に着いたが、賊が要衝を占拠していた。天皇は賊を平定するために、天香山の土を取って天神地祇に祭りたかった。天皇は椎根津彦と弟猾に衣服や蓑笠を着せて老翁と老婆に似させて、二人に天香山に潜入して土を取ってきなさいと命じた。椎根津彦と弟猾は、賊に怪しまれなかったので、無事に天香山の土を取って戻った。まもなく、天皇が大軍を率いて兄磯城を征伐することになった。賊は軍を男軍と女軍に分け、炭を用いて熾火で道を塞ぐ策戦に出た。椎根津彦は「われらも女軍を使って忍阪の道に出る。賊は必ず精鋭を出してわれらの女軍を追う。軽卒を遣わして菟田河の水を取って炭火にそそぎ、敵の不意をついて出れば、きっと破ることができる。」と天皇に言った。天皇は椎根津彦の策略を用いて兄磯城を斬ることができた。神武天皇が即位する日に、椎根津彦は倭国造と任じられた。

(『前賢故実』)