曽根崎心中

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そねざきしんじゅう Sonezaki Shinju


画題

画像(Open)

解説

東洋画題綜覧

近松門左衛門が浄瑠璃で元禄十六年四月七日梅田堤にあつた心中を材料として書卸し、大評判を取つたもの、油屋の手代徳兵衛が蜆川天満屋の遊女お初と馴染を重ねてゐる中、主人の姪に二百貫の金をつけてやらうとの話が持上り、徳兵衛の母が強欲から金を受取り、これから破綻を生じ徳兵衛は義理と人情に迫られてお初と曽根崎で心中する。世に『お初徳兵衛』として人口に膾炙され、浮世絵の好画題となつてゐるが、その中の『道行血死期の霜』が有名である。初句を引く。 此世の名残夜も名残死に行く身を譬ふれば仇しが原の道の霜一足づつに消て行く夢の夢こそ哀れなれ、あれ数ふれば暁の七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の鐘の響きの聞納め、寂滅為楽と響くなり、鐘ばかりかは草も木も、空も名残と見上ぐれば、雲心なき水の面、北斗は冴えて影映る、星の妹背の天の川、梅田の橋を鵲の橋と契りて何時までも、我とそなたは夫婦星、必ず添ふと縋寄り、二人が中に降る涙、河の水嵩も増るべし。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲)