明日香親王

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あすかしんのう


画題

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解説

前賢故実

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桓武天皇の第七子。倹約と素朴を好む性格で、うわべを飾り立てることを嫌った。弘仁中、奢侈にふける風潮があり、新しく華美な服装をする貴人が多かったが、親王だけは洗濯した服を着ていた。清貧のため、親王は駿馬を売って生活費の足しにした。四品弾正尹であった親王は、上表して親王の号を辞したいと帝にお願いしたが、許されなかった。そして、再び上表して息子と娘に朝臣の姓を賜りたいとお願いした。すると、帝に許され、子女四人が久我という姓へ改めた。その後、三品を授けられ、天長八年に上野太守を務めていた。承和元年薨去。

(『前賢故実』)