忠度

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ただのり


画題

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解説

画題辞典

平忠度は忠盛の子にして清盛の弟なり、正四位下薩摩守たりし故に薩摩守を以て知らる、幼時熊野に生長し、膂力絶群、驍名最も振ひ、兼ねて和歌に嗜深く、堪能の誉高し、平家の都を落ちて一の谷に城きし時、忠度は西門を守る、義経の来り攻めし時、勇敢克く拒ぎしも、軍遂に敗れ、一たび西濱に走りしが、岡部六弥太忠澄迫ひ来るに会し返り之と相搏つ、而して一たび之を組み伏せしも、忠澄の従卒に右臂を斬らるゝに及び、甲を脱し帯を解き、端座念仏して斬られて死す、時に年四十一なり、忠度初め鎮西に赴かんとする時、一たび都を去りしが、更に淀より再び還り、藤原俊成の五条の邸を尋ね、托するに詠草を以てす、俊成後年勅を奉じて千載集を撰する時、其の一首を取り「讀人知らず」として之を載す、実に勅勘の身となりしを以て憚かりしなり。「さゝなみや滋賀の都はあれにしを昔ながらの山櫻花」の和歌是れなり、謡曲「忠度」はこの逸事を作れるものなり、画かるゝ所亦少しとせず、近ごろ菊池容斎、守住貫魚の図あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)