常磐

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ときわ


画題

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解説

東洋画題綜覧

源義朝の妾、常磐御前と呼ばれ世に知られてゐる、九条院の雑仕であつたが、後、義朝の妾となつた、『平治物語』によれば、常磐、義朝によつて三子を生む、長は今若、次は乙若、末は牛若といふ、平治の乱に義朝敗れて死するや、常磐は三子を携へて遁れ、大和の竜門の里にかくれた、清盛これを捜索したが行衛がわからぬので、その母を捕へた。常磐これを聞て大に悲しみ、自ら六波羅に赴き情を陳べ母に代つて刑を受けやうとした、清盛之を憐み、その容色を喜び、三児の死を宥め常磐を容れて一女を生ましめ、今若、乙若を僧とし、牛若もまた僧とするため鞍馬寺に送つた、牛若は義経である、のち、一条長成に嫁して一子を生み、侍従となつた。常磐が三子を携へて雲中を彷徨する処よく画かる。

松村呉春筆  郷男爵家旧蔵

山口素絢筆  川崎男爵家旧蔵

月岡雪鼎筆  久保田俊雄氏蔵

この外にも多くある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)