大月氏行

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だいげっしこう


画題

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解説

東洋画題綜覧

支那前漢時代の大探検家張騫が漢武帝の建元年中、拝せられて郎となり、匈奴征伐の為め募集に応じて遠く大月氏に使したが、途中旬奴の為めに捕へられ十余年の苦節艱難を経て漸く大宛国、康里地方に至り大月氏国に到つて使命を果し、十三年目で漢に還るを得た。漢はこれにより西域地方にも洽く知らるゝに到り、其の交通も隆盛となつた。大月氏国といふのは、西域匈奴の西、今アラル海の南、中央亜細亜アムダリヤ流域の地方と称せらる。此の壮国を画いたものに、中村岳陵の『大月氏行』第四回日本美術院展出品がある。

張驀、字博望、益州漢中人、前漢建元年中為郎、武帝方欲滅胡廼募能使者、張騫応募使月氏、経匈奴留之十余歳、予妻有子、然持漢節不失、因与其属逃郷月氏国、西方遠走数十日到大宛国、自大宛導之得還、而拝大中大夫、其所到者、大宛大月氏大夏康居之諸国而使西域両度、得蓏果種帰、具言其地形所有物、凡外夷多通漢、自是盛焉其後任校尉、為大将軍、撃匈奴封博望侯。  (和漢三才図会)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)