演芸と明石志賀之助

明石志賀之助の伝説は江戸寛永年間に活躍した侠客夢市郎兵衛との関連で記憶される。夢市郎兵衛は助六のモデルとも言われる実在の侠客で生没年不詳である。あくまでも小説の中の話しであるが、明石志賀之助は夢市郎兵衛と義兄弟の契りを結び、勧進元となり四谷塩町で勧進相撲を行う。これが江戸勧進角力の始まりと言われる所以である。その後、夢市郎兵衛が後見人となって京都に行き天覧相撲で大関仁王仁太夫を倒し日下開山を許される、これが明石志賀之助が初代横綱となっている所以である。いずれも『関東遊侠伝』という小説の中の話しである。それでも一連の話しが芝居になり講談になって広められた。四谷塩町にある笹寺(長善寺)には相撲発祥の地を記念する碑が立っている。明治になって河竹黙阿弥が書いた「関東銘物男達鑑」(初演:明治6年(1873)4月、守田座)という芝居にも明石志賀之助が登場する。

講談で一立斎文車口演『力士銘々伝日吉堂書店、大正2年(1913)に「明石志賀之助」という一席が収録されている。また山田春塘編『相撲大全』服部書店、明治34年(1901)にも明石志賀之助伝説が書かれている。いずれも国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。寛永時代の記録が残っているわけではないので書かれていることはフィクションであるが、江戸時代の人々にとっては遠い昔のヒーローであった。
外題 櫓太皷鳴音吉原
初演 慶応2年(1866)2月 市村座
作者 河竹黙阿弥
絵師 国周
所蔵 MFA Boston
資料no 11.41796a-c


  • 投稿日:
  • by
  • [編集]