-
-
「京都ニュース 市民のまち 京都 ─京都市自治80周年─ 京都市広報課」 千年の都、京都。明治維新で政治の中心は東京に移ってしまいました。火の消えたようになった京都の街。しかし町衆は、再びこの京都を盛り上げようと、全国に先駆け自らの手で小学校を64校作り、次代を担う人づくりに力を入れました。京都を近代産業の街に。明治5年、西洋科学技術を取り入れようと、西陣から3人がヨーロッパに渡り、最新のジャガード織機を輸入し今日の西陣織の基礎を築いたのです。琵琶湖の水を京都へ。京都人の長年の夢、琵琶湖疏水には近代京都の将来がかけられていました。当時の京都府知事北垣國道が呼び寄せた22歳の青年技師、田辺朔郎が指揮を執り、多くの犠牲者を出しながらも、5年の歳月を経て、明治23年に完成。この疏水の完成は、京都の街に活気的な飛躍をもたらしました。翌24年にはわが国最初の水力発電所が蹴上に設けられ、この電気を使って、明治28年には我が国第一号の市街電車が都大路を走ったのです。船、山へ登ると当時の人々を驚かせたインクライン。琵琶湖・京都・大阪を結ぶ物資運搬の動脈として活躍しました。新生京都の建設にかける市民の心意気は、やがて明治中期から大正に及ぶ流れの中で、第二疏水の完成、蹴上浄水場の建設、市電の敷設という三大事業として実を結んで行きました。明治31年10月15日、初めて市役所が現在の地に設けられ、初代市長に内貴甚三郎が就任。そして80年。先人たちの偉大な歴史と伝統を受け継いで、京都の街は発展してきました。22代市長として就任した舩橋市長は、人間尊重・市民本位の姿勢のもとに、公害のない緑豊かな住みよいまちづくりや福祉の風土づくりを今日も進めています。福祉は、行政の原点である。京都市では、真の福祉社会を作るために、老人福祉センターやリハビリテーションセンターの建設をはじめとして、いろいろな施策を進めています。豊かで便利になったわたくしたちの暮らし。しかし、本当にすべての人々が人間として大切にされているでしょうか。潤いある暮らしのために。文化活動にも力を入れています。働く青少年の憩いの場、青年の家もそのひとつ。体力づくりに、お稽古事や楽しい語らいにと、連日大勢の若い人たちに利用されています。また、働くお母さんから要望の強い、保育所作りや学校施設の整備も、市政の重点施策として力を入れています。明日の京都を作る新しいまちづくり。自然と環境が調和した緑豊かな街。向島ニュータウン、洛西ニュータウンも順調に進んでいます。公害のない住みよい街づくりに欠かせない、清掃工場や下水処理場。東部清掃工場は139億円かけて伏見区醍醐石田地区に54年度完成予定。その隣には、山科区と伏見区醍醐地域を受け持つ下水処理場を、1420億円をかけ建設中。将来のまちづくりの基盤となる地下鉄。55年度開通をめどに工事も急ピッチで進んでいます。また、地下鉄工事と並行して、京都駅北口広場の地下街建設も55年度完成を目指して着手。新しい京都を。今、21世紀に向けて理想のまちづくりが進んでいます。市民一人ひとりの力強いエネルギーが明日の京都を築くのです。
市民のまち京都―京都自治80周年―(152-1)