弓矢町は松原通(清水坂、旧五条坂)に位置し、古くより祇園感神院(現八坂神社)に仕えた人々の近世までの居住地であった。「山州名跡志」には、「前瀬崎(ぜぜがさき) 建仁寺町松原辻四辺ヲ云フ、此所往古鴨河原封境也」とあるように「前瀬崎」の汎称があり、また河原より清水坂の入り口にあたるため「坂」ないし「坂面(さかおもて)」の古称もある。当町の住人が弓矢の製造に関わり、祇園祭の際に弓矢を携え、鎧兜を纏い神事の護衛にあたるのを恒例としたことから、「弓矢町」の名前が起こる。近代以降、町内に住人はほとんど入れ替わったが、鎧兜は引き継がれ、神輿に供奉する神役は継承されていた。 しかし、戦後では、鎧の損傷が進んだり、若者の体格が向上して鎧が合わなくなったりし、さらに行列に伴う労力も大きくなったため、町内の人口も減少する中で弓矢町の武者行列は昭和49年の神幸祭から不参加となった。 現在は神幸祭の前日と当日の2日間(16・17日)、町会所の「弓箭閣(きゅうせんかく)」、及び通り沿いの各町家において武具飾りが披露される。(2020年は中止)