長江家住宅は、全体の間口は7間(13m)、奥行30間(54m)、面積200坪(700平米)余。職住一体の典型的な京町家の佇まいを今も受け継いでおり、2005(平成17)年4月に、主屋北棟(内装省く)、主屋南棟、化粧部屋、離れ屋敷、土蔵2棟の計6棟が「京都市指定有形文化財」の指定を受けています。文政5(1822)年、長江家三代目の大坂屋伊助が袋屋町(現船鉾町)に入町し、現在の主屋北棟部分35坪の土地家屋を買得、以後、その地で代々呉服卸商を営んできた。しかし、五代目の頃、元治元(1864)年、禁門の変による京都大火で家屋はすべて焼失した。その後、慶応4(1868)年に再建(現主屋北棟)され、明治8(1875)年には、その背面裏地に大蔵が移建された。明治39(1906)年、六代目の長江伊三郎が南隣地を取得し、同40(1907)年、同地に表屋造の主屋南棟、離れ座敷などを新築、新蔵を移建した。その後、大正4(1915)年に、化粧部屋、浴室が新築され、それに伴い、職住機能の大半が南棟に移された。それ以降、江戸時代より86年間店舗兼住宅としていた北棟は、隠居所として利用された。