岩戸神楽とは民族芸能のひとつで、岩戸に籠もったアマテラスを外に連れ出すために行った祭りを題材にした舞いのことである。
アマテラスは日本の最高神とされている。天皇家の祖先であり、記紀神話でも全体でアマテラスの名を見ることができる。また、その力は絶大で、「アマテラスのことば」という名目でシャーマンが神語ると、その命令はほぼ確実に実行される。神武天皇の東征や神功皇后の新羅遠征も「アマテラスのことば」のもとに行われたものである。
しかし、本来アマテラスは太陽神に仕える巫女であった。それがいつしかアマテラス自身が太陽神に昇格した。そのきっかけは先に挙げた岩戸の件であろう。岩戸に引きこもり、抽象的に「死」を経験することによって、神としての天照大御神として生まれ変わった。では岩戸に籠もる以前のアマテラスはどのように描かれているか。
追放されたスサノオが高天の原に戻ってくる。そのスサノオと対峙する時のアマテラスは何千本もの矢を背負い、硬い土の庭に腿が埋まるほど力を込めて、雄々しくスサノオを待ち受けている。この描写について、斎藤秀喜(2010)は著書『古事記 成長する神々』において、
髪や腕にたくさんの勾玉を巻きつけて、弓を振りたてて、雄叫びをあげるアマテラス。ここに浮かび上がる姿は、取り澄ました太陽の女神ではない。また政治的に作為された女神とも違うイメージが浮かんでこよう。自ら武装し、荒ぶるスサノオと身をもって対峙する戦う女神である。その戦いの姿は、数多くの勾玉(タマ=霊魂)を髪の毛や腕に巻き付けて邪霊から身を守り、弓を振り立てて悪霊と対決する呪者・シャーマンを彷彿とさせよう。(斎藤,2010)
と書いている。アマテラスは白衣を着た女性として描かれることが多いのはあくまで、太陽神としての姿であり、岩戸隠れ以前ではシャーマンのような姿であったことが分かる。今まで太陽神に仕える巫女であった立場のアマテラスが、岩戸に引きこもっている間、アメノウヅメノミコトという巫女に祭られる立場になったことにより、巫女から神に変身したのである。
【参考文献】
斎藤秀喜 『古事記 成長する神々』(2010年 株式会社ビイング・ネット・プレス)
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