9.大磯 虎 祐成(『双筆五十三次』:初代広重、三代豊国)

曽我物語の十郎祐成と虎御前

 本図に描かれている二人は、忠臣蔵と並んで江戸時代に最も親しまれた仇討ちのエピソード、曽我の仇討ちで知られる曽我十郎祐成と恋人の虎御前。曽我の仇討ちは工藤祐成に父親の河津祐泰を殺された曽我十郎祐成、曽我五郎時到兄弟が、苦難の復讐劇を遂げるという実際に起きた事件。建久4年(1129)、源頼朝が富士の裾野で催した巻狩の際に、曽我兄弟は祐経の寝所に押し入って見事仇討ちを果たした。この物語は能や人形浄瑠璃、歌舞伎などにも広く取り入れられ、特に歌舞伎では定番の演目として毎年上演され、人気を博した。この絵に描かれているのは髪梳きの場面。虎御前が手にしているのは櫛で、懐紙のようなもので拭いている様に見える。歌舞伎では髪梳きの趣向があり、恋人たちの愁嘆の場面や濡れ場を表すものとして用いられる。本図の十郎は寛政期の名優、三代目沢村宗十郎を彷彿とさせる風貌。

風景解説

 東海道8番目の宿場大磯宿。画面上から黄色のぼかし下げであらわされた背景は、温暖な大磯の気候を感じさせるよう。画面右手に見える丸みを帯びた山は高麗山(こまやま)。山中に高麗からの渡来人が建立したとされる高麗寺という寺院が江戸時代まであった。遠景に見えるのは小余綾の磯と呼ばれる大磯の海岸で歌枕としてもしられている。平塚方面から進んできた旅人たちは、本図の様に右手には高麗山を、左手には海を臨みながら大磯宿へと歩みを進めた。画面左上に見えるのは「鴫立沢 西行庵」の文字。鴫立沢は西行法師が東国行脚の際に立ち寄り、歌を詠んだことで有名な場所。寛文年間に崇雪という人物が当地に草庵を結び、碑を建立したと言われており、本図にも描かれている。

〈参考書籍〉

渡邊晃『謎解き浮世絵叢書 三代豊国、初代広重 双筆五十三次』(二玄社・2011)

関連記事

arrow_upward