双筆五十三次(歌川広重【初代】、歌川豊国【三代】)
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概説
"歌川派三羽烏"の内、広重(初代)と三代豊国(国貞)の競演が果たされた合筆シリーズ。大判55枚、安政元年(1854)から翌年にかけて丸屋久四郎から観光された。画面の上半分の風景を広重が描き、三代豊国が得意の人物を前面に描くというもの。宿場風景やその近くの名所は明快な様式で描かれ、それと共に宿場名に因む浄瑠璃や芝居の登場人物が取り上げられる。描かれている人物は①土地の風俗や単に旅人の風俗を描くもの、②戯曲や故事などを題材とするものに分けられる。後者には、人気役者の似顔絵風に表されたものもあり、当時の人はおのおのの楽しみ方でこの絵を眺めていたことだろう。広重は画面の大きさや三代豊国の人物との兼ね合いを考慮して適度な遠近表現や描き込みを行っており、全体が煩雑になることを避けている。人物の顔貌は人気役者の似顔絵風に表されたものもあり、当時の人はおのおのの楽しみ方でこの絵を眺めていたことだろう。全体として『双筆五十三次」は派手な印象こそないものの、数多くの洗礼を消化した上で、円熟した二人の絵師が様々な工夫を凝らして手掛けた作品と言える。
各図の出版時期
- 安政元年(1854)7月、10図→日本橋、品川、川崎、神奈川、程ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原
- 安政元年8月、10図→箱根、三島、沼津、原、吉原、蒲原、由井、奥津、江尻、府中
- 安政元年12月、10図→鞠子、岡部、附家、島田、金谷、日坂、掛川、袋井、見附、浜松
- 安政2年(1855)4月、10図→舞坂、新井、白須賀、二川、吉田、御油、赤坂、藤川、岡崎、地鯉鮒
- 安政2年8月、13図→鳴海、宮、桑名、四日市、石薬師、庄野、関、土山、水口、石部、草津、大津、京
- 安政4年(1857)4月、2図→亀山、坂之下
追加された目録
右に提示している目録は、『双必五十三次』シリーズが出版し終わった後に出されたと思われる目録。目録には二人の絵師の署名(「一立斎広重筆」「香蝶楼豊国画」)の他に、目録をデザインしたと思われる梅素亭玄魚「応需玄魚画」の文字がある。この目録は旅人たちが巡礼先で奉納する納札をモチーフとしたものと考えられる。
〈参考書籍〉
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