22.岡部(『双筆五十三次』:初代広重、三代豊国)

岡部弥太郎

 画中の男の名は岡部六弥太。源平時代に活躍した実在の人物で、武蔵七党の内猪俣党の武士として源義朝、頼朝に仕えた。平家との戦いの中で義経の指揮かに入って転戦し、一の谷合戦では敵方の平の忠度を討ち取る手柄を立てた。平忠度と岡部弥太郎の戦いは戯曲にも取り入れられ、謡曲「忠度」や人形浄瑠璃・歌舞伎の「一谷嫩軍記」が有名。このうち、「一谷嫩軍記」では六矢田が義経から、文武に通じた平忠度の歌が千載集に採録されたことを伝え、その歌の短冊を結びつけた桜の枝を忠度に渡すように命じられている。のちに六弥太が桜の枝を渡してこのことを忠度に伝えると、忠度は感激し、戦場での再会を約束して別れるという場面がある。本図に描かれているのはこの桜の枝。なお、六弥太の着る陣羽織の文様は六弥太格子と言い、歌舞伎で岡部六弥太の衣装に用いられたことから広まった。本図は六弥太の苗字と岡部宿をかけている。

風景解説

 画中には「宇津の山 蔦の細道」の書き込みが見られる。山々の位置関係は定かではないが、画面中央右の谷間が東海道の通る峠道となる。その場合本図は鞠子宿側からの眺めという事になる。書き込みのある宇津の山と蔦の細道は、平安時代から室町時代に至るまで長い間旅人の通り道として用いられてきた古道。『伊勢物語』の第9段、業平の東下りの中で「駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり」と歌われたことで有名。その後秀吉の小田原攻めの際に、山を挟んで北側も新たな道が作られ、江戸時代の東海道として用いられた。

〈参考文献〉

渡邊晃『謎解き浮世絵叢書 三代豊国、初代広重 双筆五十三次』(二玄社・2011)

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