18.奥津 旅按摩(『双筆五十三次』:初代広重、三代豊国)

人物紹介

女性の後に描かれるのは按摩の姿。髭を生やした按摩は左手で女性の肩を支え、右手を曲げて肘で女性の首の付け根辺りをほぐしている。女性はこことよさそうに口元にうっすらと笑みを浮かべている。『保永堂版』の赤坂宿の図でも、旅籠屋でねそべってくつろいでいる客に、按摩が様子伺いする場面が描かれている。この図からは按摩が宿場の旅籠に出入りし、旅人たちの疲れを癒していた様子を窺い知ることができる。按摩術は奈良時代に中国から日本へ移入し、江戸時代に入ると按摩は鍼灸は盲人の専業職として定められた。

風景解説

 手前に大きく湾曲した砂浜が描かれ、中景には海に突き出た小高い地形が見えている。近景に描かれているのは、魚網を干す網干の光景。波打ち際を飛び立つ小鳥の群れが見える。画中右側の書き込みには「清見ヶ原 清見寺」とあり、右側には「田子浦」と記されている。田子浦は歌枕としても良く知られており、古くは富士川の西側にあたる蒲原、由比、奥津あたりの海岸を指した。清見ヶ関とは、奥津宿にしがわにあった関のこと。また清見寺とは、清見ヶ関の付近にある古刹で、徳川家康が幼少のころ太原雪斎に学んだ寺として知られている。

〈参考文献〉

渡邊晃『謎解き浮世絵叢書 三代豊国、初代広重 双筆五十三次』(二玄社・2011)

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