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【テーマ設定】
インタビュー計画概要:
株式会社MetaMoJiの浮川和宣・初子夫妻が設立した株式会社ジャストシステムの時代に開発されたワープロソフト「一太郎」と日本語入力システム「ATOK」が、当時の社会や個人の活動にどのような影響を与えたのかを明らかにすることである
。特に、学術研究や教育、個人の知識生産といった領域における具体的な変化に着目する 。 大テーマ:ワープロソフト「一太郎」と日本語FEP「ATOK」は社会といかに向き合ったのか
中テーマと主な焦点:
1.「一太郎」「ATOK」開発の思想について
特定のターゲットユーザーを想定していたか、日本語を「書く」という行為に対して、どのような思想やこだわりがあったかについて話を伺う。また、松下電器の「U-1」のような競合製品と比較して、どのような点を重視していたかも確認する。2.学術分野への影響について
論文執筆など、研究活動における「一太郎」の役割をどう捉えていたか、話を伺う。また、学術利用を意識した機能(例:脚注、文献リスト)の開発は想定されていたのか、教育現場(小中高)での活用について、どのような考えがあったかについても確認する。
3.個人の知識生産と「一太郎」について
個人が本を出版する「ブックバイワン」構想と「一太郎」の関連性 や、「一太郎」が個人の情報発信や知識のあり方に与えた影響をどう考えていたかについて明らかにする。
4.ジャストシステムという「場」について
ユーザーや開発者が集う「場」としてのジャストシステムの役割やユーザーからのフィードバックを製品開発にどのように活かしていたか、浮川夫妻がソフト開発において最も重視していたことは何かについて伺う。
期待される効果:
このインタビューを通じて、日本におけるワープロソフトの黎明期を牽引した「一太郎」と「ATOK」の開発思想や哲学を、創業者自身の言葉で記録することができる。また、これらのソフトウェアが、学術研究、教育、さらには個人の知識生産や情報発信といった文化活動全般にどのような影響を及ぼし、社会を変革していったのかを具体的に明らかにすることが期待される。これにより、日本のソフトウェア史における重要な一幕を多角的に検証するための、貴重な証言を得ることができるだろう。
【参考文献】
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浮川和宣_浮川初子