津和野城

弘安の役(鎌倉時代2度目の蒙古襲来)後の1281年(弘安4)鎌倉幕府はさらなる元の襲来を警戒して能登の吉見頼行に石見の防衛を命じ1295年(永仁3)から30年がかりで標高362mの山頂に三本松城を築いたと伝わる。関ヶ原の戦い後、1601年(慶長6)坂崎直盛が入城し出丸(織部丸)を築いて城域を拡張し、曲輪を設け石垣を積み、三重天守を建てる等三本松城に大改修を加え津和野城と改めた。1616年(元和2)直盛が千姫事件(直盛が大阪城から千姫を救出したが、その翌年本多忠時との再婚が決まった千姫を強奪しようとしたことが露見し自害、家臣に殺されたとの説も)で取りつぶしになり、その後に入った亀井氏が幕末まで11代続いた。この間に外堀が造られ城山北東麓には藩邸が設けられた。尚、天守は1686年(貞享3)落雷により焼失し以降再建されなかった。

arrow_upward