月山富田城

築城時期はっきりしないが各時代の出雲守護の居城として用いられ、室町時代は京極氏が治めた。応永2年(1395年)京極氏の守護代として尼子持久が入り、その後文明16年(1486年)尼子経久が戦国大名として京極氏から独立して尼子氏代々の居城となった。しかし永禄8年(1565年)毛利元就に攻められ1年半の籠城戦の末に開城し、尼子氏は滅亡。その後、堀尾吉春が入り総石垣造りの近代城郭に大改修したが、跡を継いだ忠晴が松江城に移ったため廃城となった。

城は標高約400メートルの山の頂に位置し、出雲平野を一望できる戦略的な立地を誇る。山頂には本丸、中段には山中御殿、山麓平坦部には居館、また尾根続きの峰々には多数の曲輪が展開する1km四方にも及ぶ巨大山城であった。特に山中御殿から本丸につながる絶壁「七曲り」の迫力は圧巻である。

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