福山城

福山城は毛利、浅野、池田などの西国の外様大名を押さえるために幕府は徳川家康の従兄弟水野勝成1929年(元和5)を配置し、山陽道と瀬戸内海の海路に睨みを利かせるため福山城を築城させたた。鞆の浦に面した芦田川のデルタ地域に位置する標高24mの丘陵地に1622年(元和8)完成をみたが、結果的にこの城が大規模な近世城郭としては最後となった。天守は御三家でさえ許されなかった五重六階地下一階で、北面の外壁には大砲の攻撃に備え鉄板を張っている。城は本丸を二の丸、三の丸が取り囲む輪郭式の構造である。また本丸南側には伏見城から伏見櫓などを移築したと伝わる。

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