大野城

663年、同盟国関係にあった百済復興を支援するため天智天皇は朝鮮半島に軍勢を派遣するが、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れ百済は滅亡。この結果、連合軍が日本に来襲することを恐れた大和朝廷は対馬から北部九州、瀬戸内海沿岸と、朝鮮半島から大和に続く線上に様々な防衛施設をつくった。そのなかで、大野城は大宰府の北側の守りとして、四王寺山の尾根線を総延長8kmの土塁や石垣でで囲んだ古代朝鮮式山城(百済からの渡来人の指導により築かれた)である。城郭内には70棟近くの建物の礎石が残されている。

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