福岡城
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福岡城は関ヶ原の戦いの戦功で筑前一国を与えられた黒田孝高・長政親子が、古代の大宰府の役所の一つで、外国使節の接待を行った迎賓館としての機能を持った鴻臚館が築かれた場所に新たに築いた城で慶長12年(1607)に竣工。さらに、この地、福崎を洪水で壊滅した備前国福岡の地名にちなみ福岡と改名した。城は47基の櫓が立ち並ぶ九州最大級の巨城であり、本丸から三の丸を囲んだ水掘りは幅50mを超え、高さ7m以上の土塁で周囲を囲み、土塁下部は腰巻石垣(堀石垣)で囲まれていた。また虎口を巧みに配置するとともに、本丸・二の丸・三の丸の間には高石垣で曲輪ごとの防御を高めていた。巨大な天守台が残っているが、天守があったかどうかについては、いまだ結論をみていない。明治末まで城内には多くの櫓や門が残されていたが、移築されたり取壊されて、現在残っているものは南二の丸の多門櫓などごくわずかだが、下之橋御門と伝潮見櫓が復元されている。