高松城
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- 高松城は、豊臣秀吉が天正15年(1587)生駒親正に讃岐一国を与え、親正は引田城や聖通城に入城したが手狭すぎたり、山城だったりして天正16年(1588)当時「野原」と呼ばれた瀬戸内海に面した港町に新城の建設を開始し3年後の天正18年(1590)に完成させ、同時に地名を高松と改めた。城は北方が瀬戸内海に面し三重の堀に囲まれた海城である。内堀には島のように本丸や二の丸、三の丸が配置され、外曲輪外側には海水を引き込んだ広い堀を巡らし、東西には舟入(船着場)も造られた。築城時の天守は三重の望楼型天守であったが、松平頼重により解体され、寛文10年(1670)小倉城天守を模した三重四階地下一階で最上階を三階よりも張り出させた南蛮造(唐造)の天守として再建された。合わせて城の大改修が行われ三重の堀には全て海水が引き込まれた。その後松平氏は220年以上11代にわたり居城として幕末を迎えた。城跡には月見櫓と艮櫓が残っている。また天守台の積み直し工事が平成25年(2013)に完了し公開されている。