津山城
-
- 津山城は、室町時代に山中忠正が高さ50mの鶴山に鶴山城を築いたことが始まりで、応仁・文明の乱で廃城となったが、関ヶ原の戦功により1603年(慶長8)に入った森忠政(本能寺の変で討死した森蘭丸の弟)が、鶴山を津山と改名し13年かけて津山城を大規模な近世城郭として完成させる。城は鶴山全体を10mを超える高石垣で囲み、さらに雛壇状に三の丸、二の丸、本丸と曲輪を積み上げ、最上段の天守曲輪には藤堂高虎によって考案された層塔型(下の階から上の階へ規則的に小さくなる様式)で、小倉城を参考にした五重天守が建ち、これを取り囲むように多くの櫓と門が林立した強固な防御網を誇った平山城であったが、明治初期に城内の建物は全て取壊された。2005年(平成17)築城400年の記念行事として、城内最大の櫓で「全室畳敷きで御殿の一部として使用されていた」という備中櫓が復元され、2006(平成18)には天守台南側に太鼓塀が復元された。