岩村城

は正確な年代はわからないが、鎌倉時代には遠山氏により城が築かれていたとされる。鎌倉時代から戦国時代まで遠山氏の居城として使われた。1572年(元亀3年)に遠山景任が没すると、後継ぎがいなかったため妻であるおつやの方が女城主となった。翌年に武田軍の侵攻により包囲され降伏し、おつやの方は武田家家臣である秋山虎繁と婚姻した。信玄の死後、長篠の戦いにより勢いづいた織田軍は岩村城を包囲した。5カ月に及ぶ籠城戦の末落城し、虎繫とおつやの方は磔刑となり処刑された。その後は川尻秀隆、森長可、田丸直正と城主が変わり、江戸時代は松平氏や丹羽氏が城主となり幕末を迎えた。

山城として山頂に位置し、自然の地形を巧みに利用して堅固な防御体制を整えていました。高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」ともよばれている。城の主要な部分は、本丸を中心に複数の曲輪(くるわ)が連なり、敵の侵入を防ぐために複雑な構造を持っている。遺構は部分的に残っており、特に城の入口にある「大手門跡」や、「三の丸」などは、当時の城の面影を今に伝えている。

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