金沢城

天文15年(1546年)石山本願寺によって金沢御坊が建立された。この寺は石垣や堀を巡らした城のような作りであった。天正8年(1580年)に金沢御坊を攻め落とした織田信長は佐久間盛政に与え、名前を金沢城と改めた。盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に討たれると前田利家が入城した。文禄元年(1592年)から利家は大改修を行い、5重6階の天守や櫓を建てた。江戸時代を通じて加賀藩の居城となる。慶長7年(1602年)に落雷により天守が焼失し、再建はされず本丸に三階櫓が建てられた。宝暦9年(1759年)の火災では城の施設のほとんどが焼失し、本丸の櫓は再建されず二の丸を中心としたつくりに整備された。

現存する石川門、三十間長屋、土蔵が重要文化財に指定されている。現存する建物は少ないが当時の櫓の数は全国でも最大の規模であった。兼六園は4代藩主、前田綱紀の庭園がもとであり代々の藩主によって改修されていった。石垣は多数の修復を繰り返しているため時代に応じた多種多様な様式が使われており、石垣の技術の変化を見ることができる。

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