松代城
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当初は海津城と呼ばれ、信濃併合を目指して北上する武田信玄が越後の上杉謙信と川中島で戦うための拠点として築城された。海津城築城以前から武田氏と上杉氏は川中島で3度戦っているが、いずれも決着はつかなかった。武田信玄は上杉謙信との戦いに決着をつけるべく海津城をそのための一大拠点とした。1560年(永禄10年)に完成し、城代には武田家重臣、高坂昌信が置かれた。翌年の第4次川中島の戦いでは武田軍の本隊が来るまで籠城し、この城を拠点に両軍の激戦が行われた。武田氏滅亡後は上杉氏の支配下となり、上杉氏の会津転封後は田丸直昌が城主となった。江戸時代になると短期間で城主が入れ替わったが、g元和8年(1622年)に真田信之が入封すると松代藩の居城として幕末まで藩政の中心となった。
千曲川によって形成された自然堤防に築かれ、本丸、二の丸、三の丸、花の丸が配置されている。本丸は総石垣で作られており、それ以外は土塁が用いられている。復元された本丸の大手口の2つの門は枡形の形になっており、本丸の守りを固めていた。二の丸には周囲を囲っていた長大な土塁も復元されておりいる