八王子城

1571年(元亀2年)に北条氏康の3男の氏照によって築城された。築城理由としては甲斐の武田信玄との同盟が破綻したことにより武田氏からの圧力に対抗するために築かれたとされる。1590年(天正18年)小田原征伐に際して城主である北条氏照は小田原城におり、城には領民を加えたわずかな軍勢しかいなかった。1万5千の豊臣軍に包囲され城は1日で陥落した。陥落時に氏照の性質をはじめ多くの婦女子が自害、または城内の滝に身を投げたため小田原攻めでは稀な殲滅戦となった。氏照は小田原城の開場後に自害した。関東に入った徳川家康によって廃城となった。

標高445mの深沢山に築かれ北浅川と南浅川、山の尾根や谷などの地形を利用して山頂の本丸をはじめ、何段もの曲輪が置かれた。同時期の城としては珍しい山城であるが、尾根や堀切を利用した防御に加え、敵に対しての側面からの攻撃できる仕組みになっている。特に居館を守る太鼓曲輪は5つの深い尾根で守られており、南側は石垣を用いるなど容易には突破されない工夫がされている。現在は虎口と大手道、石垣の一部が復元されている。

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