鉢形城
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1476年(文明5年)に関東管領上杉氏の家臣である長尾景春によって築城された。1478年(文明8年)に扇谷上杉氏の家臣である太田道灌によって攻め落とされた。その後も、上杉氏の武蔵国での拠点として機能していくが、1546年(天文15年)、北条氏康が川越夜戦において関東管領上杉憲正、上杉朝定を打ち破り武蔵国での支配を確立したことで、鉢形城も北条氏の勢力下に入る。北条氏が城主となった後も関東の重要拠点として重要視され、1564年(永禄7年)に北条氏康の4男である北条氏邦がこの地方の豪族である藤田康邦に入婿し、鉢形城の城主となった。氏邦によって整備拡張され現在の大きさまで整えられ、武田氏や上杉氏からの防衛の拠点となった。1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐により、前田利家、上杉景勝の軍勢に包囲され1か月余りの籠城戦の後、開城した。開城後は、関東に転封となった徳川氏によって統治され成瀬正一、日下部定好が代官となり、廃城となった。
鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁に築城され、両河川の合流地点を軸として天然の要害である。北条氏の城の特徴である土塁を活用した城であり堀の深さは最大で、幅24m、深さ12mにもなり、障子堀の痕跡も見つかっている。二の曲輪、三の曲輪、笹の曲輪は発掘調査の成果をもとに馬出や堀、土塁が復元されている。