白河小峰城

白河小峰城は南北朝時代に結城親朝が築城したのが始まりである。当時は現在の本丸と三の丸の北側が城域であり二の丸部分には阿武隈川が流れていた。戦国期も結城氏の城であったが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の欧州仕置によって結城氏は改易される。その後は蒲生氏、上杉氏が城主となったが、寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で移封されると幕命により城郭の大改築に着手し3年をかけて完成させた。この際に阿武隈川の流れを変える工事を行い、現在の城域が整えられた。江戸時代を通して、丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥州松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と城主が変わり、阿部氏以降は幕領となる。戊辰戦争では幕府側の拠点として奥羽越列藩同盟と新政府の間で戦闘が行われ、大半が焼失した。

東北の城としては珍しく総石垣造りの城である。伊達氏など東北地方の大名への抑えの城として北側への守りを重視する縄張りとなっている。天守はないが御三階櫓がそれに相当する。御三階櫓は昭和期に再建されたものであるが、数少ない木造復元である。現在は本丸正面の清水門の木造復元が進められている。

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