二本松城
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室町時代に畠山氏によって築城され地名を二本松と改称した。畠山氏は名前も二本松氏に改めた。戦国時代になると二本松氏は伊達氏に攻撃を受け二本松義継は伊達輝宗を二本松城に拉致しようとするも伊達政宗によって輝宗もろとも射殺された。政宗はすぐに二本松城に攻め寄せたが守備側は伊達氏の猛攻によく耐え、一度は撃退に成功した。しかし、1586年についに落城し二本松氏は滅亡した。以降は伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝などの名だたる武将の支配下となった。江戸時代となった後も度々藩主が変わるも、1643年に丹羽光重が藩主となると大改修が行われ幕末に至るまで丹羽氏の居城となる。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加し新政府軍と戦うも僅か1日で落城した。
標高345mの「白旗が峰」に築かれた城郭からなるの平山城である。頂上に本丸が置かれ本丸から北西・東・南にそれぞれ尾根が伸びており、東と南の尾根にそれぞれ曲輪が築かれている。蒲生氏郷によって本丸に大石垣が作られ近世城郭となっていく。丹羽光重のによって南側の丘陵部に城域が拡大された。それにより外部から侵入するためには丘陵を越えなければならなくなり城域外からは城の様子がまったくわからないという防御に有利な縄張となった。