仙台城
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仙台城は関ヶ原の戦いの後、伊達政宗が徳川家康の許しをえて築城した。当時としては珍しい山城であり、スペイン人探検家ビスカイノは「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と評すほどの屈指の堅城であった。しかし、山上の本丸は街との往来が不便であったことから二代藩主伊達忠宗は二の丸を造営し政務をとるようになった。以降は本丸が使われることは少なくなり、二の丸が中心となっていく。以降は火災や地震により何度か建物や石垣の一部を失い、その都度再建された。江戸時代を通じて仙台藩の居城として使われ、仙台藩は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主となるも仙台城が戦場となることはなかった。
本丸には本丸御殿を中心に周囲に計4基の3重櫓と1基の2重櫓、多門櫓などが築かれた。本丸御殿は公式な場である大広間や藩主の生活空間である奥御殿などがあった。幕府から警戒されることを防ぐために天守閣は築かれなかったと言われている。聚楽第を模して造られた大広間は430畳もの広さがあり豪華な障壁画で飾られた。二の丸は二代藩主伊達忠宗によって造営され藩主が住む御殿や能舞台、庭園が整備され山上にあった本丸に変わって藩政の中心となった。