弘前城
弘前城は1611年に弘前藩藩主である津軽為信、信枚親子によって築城された。郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭から構成された平山城である。創建当初は5層6階の天守があったが、1627年に落雷による火災により焼失、以降200年近く天守のない時代が続いた。その後、1810年に9代藩主である津軽寧親によって3層3階の御三階櫓が建てられこれが天守となる。明治時代には陸軍の部隊である東北鎮台の分営が置かれた。 創建時の天守は東北地方では若松城に次ぐ絢爛なものであった。落雷によって焼失したが武家諸法度により天守は容易に再建することはできなかったため天守のない状態が続いた。その後、ロシア船の往来などを理由に再建が認められ3重3階の天守が建てられた。この天守は現存する12天守のうちの一つである。天守は城の外側に面している南側と東側は狭間や切妻破風が用いられ小さい建物を華美で大きく見せる工夫が見える。一方城の内側にあたる北側と西側は簡素な作りとなっている。

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