角倉氏と御土居
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寛文8(1668)年、板倉重矩が京都所司代に就任した。そのことによって京都の微細な都市経営が可能になり、御土居のより正確な現状把握が望まれた。
寛文9(1669)年には、京都町奉行所による一円支配の体制へ移行することが可能となり、角倉与一玄恒が「京惣廻り土手奉行」に任じられた。その後、一時その役目から外れていた時期もありながらも、寛政3(1791)年まで角倉氏はその下で御土居管理の実務にあたったとされる。
角倉氏の主たる任務は、御土居とそれに接する土地の調査と竹木の管理の2つである。前者は、絵図の制作によって行われた。御土居の長短、植生、改変(開口・譲渡・売却・拝借地)が詳細に記載されており、御土居の現状把握・維持管理を担っていたことが窺える。後者は、御土居の経営として民間に払い下げられる竹の管理を行っていた。この竹は、京都町奉行所にとって公的な建築資材であるとともに、重要な財源の一つでもあった。