E 竹田城
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竹田城は1441年、山名宗全が築き家臣の太田垣光景を城主にしたのが始まりと伝わる。1569年、織田信長の命で豊臣秀吉が但馬に侵攻し城主太田垣輝延は織田方に降伏するも1573年、毛利勢がせまると毛利方に寝返り降伏。再度1577年、豊臣秀吉は播磨に、弟秀長は但馬に侵攻して竹田城は陥落。その後、1585年、秀吉の配置換えにより赤松広秀が入城し15年間に渡り城主を務めた。この間に現在みられる本丸を中心に三方へ広がる尾根上に曲輪群が展開する見事な石垣の要塞を完成させたが、関ヶ原の戦いで西軍に属したため切腹を命じられ竹田城も廃城となった。
竹田城は険しい地形にありながら、曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ総石垣の城郭である。本丸部分の石垣の高さはは10mを超える。