大坂城の概要

 戦国期から江戸期の城。大阪市中央区大阪城にある。金城(錦城)ともいい、明治以後は大阪城と書かれる。南から北に延びた高さ20メートルほどの台地が淀川流域の低地に突き出た北端(上町台地 )に位置し、大和川がその東を巡り、三面を水に囲まれた要害の地に築かれていた。城は歴史的にみて、石山本願寺の時代、豊臣氏の時代、徳川氏の時代の3期に分けられる。

 豊臣秀吉によって翌1583年三十数か国から数万の人夫を動員して大修築工事が行われ、1585年ほぼ完成したのである。本丸、二の丸、三の丸のほか、のちには外郭(総構)を整備し、天下統一の覇者にふさわしい大城郭で、本丸には五層八重の天守閣が建てられていた。秀吉が伏見城に移り病没したあと、子の秀頼 が継いだが、1614年(慶長19)大坂冬の陣が起こり、そのときの講和条件によって、総構の堀、三の丸の堀はもとより、二の丸大手の堀まで埋められてしまい、本丸だけを残す裸城となってしまった。ついで翌1615年(元和1)の夏の陣では天守閣以下の建物が次々と焼け落ち、城は落城し、豊臣氏は2代で滅亡したのである。

(日本大百科全書https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=1001000034583 /2023.6.5)

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