聚楽第の概要
-
-
豊臣秀吉が京都に造営した城郭風の邸宅。位置は京都の内野(一条の南、二条の北、大宮通の西、浄福寺通の東)の旧平安京内裏跡にあたる。秀吉の祐筆大村由己の『聚楽行幸記』によれば、「長生不老の楽をあつむるものなり」とあり、これが聚楽の名称由来といわれている。工事着工は1586年(天正14)2月、諸国から材木、檜皮葺き、石材、釘などの建築用材を徴発し、諸大名はその普請課役を負った。そのありさまにつき、興福寺多聞院の僧英俊は「去 (さる) 廿一日ヨリ内野御構普請、大物以下事々敷、諸国衆自身自身之ヲ沙汰ス、ヲヒタゝシキ事也」(『多聞院日記』)と記している。
参考文献:(日本大百科全書https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=1001000113072 /2023.6.4)