築造目的
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そもそも、御土居は何のために築造されたのであろうか。様々な説が出ているが、未だに明確なものはわかっていない。ここでは、研究者たちの見解を紹介する。
足利健亮:聚楽第の防御[足利1990]
西側の御土居の突出部分(「御土居の袖」)と丹波口付近の直角折部分に注目
聚楽第の構造や位置関係、大名屋敷の配置、長坂口・丹波口の位置から、三重の囲郭の外側であったと位置付けた
横田冬彦:洪水対策[横田1993]
北部に大きく張り出した御土居の形と京都市中の水害の歴史に注目
軍事的機能・治安機能に加えて、特に鴨川の堤防としての機能があったとしている
中村武生:首都の城壁[中村2001]⇔虎口の未発達さ、御土居の囲う広さなどから軍事機能の希薄さを指摘[中村2008]
中村武生:神社と都市民の関係排除[中村2001]
御土居築造から慶長6(1601)年まで10年以上、四条口が御土居によって閉鎖されていたことに注目
祇園社と御土居との関係から神社と都市民の関係を断つ目的もあったとしている