A2-3-1 子供遊凧あげくらべ

作品名:「子供遊凧あげくらべ」
絵師:歌川芳虎
判型:大判錦絵3枚続
出版:慶応1年(1865)
所蔵: MFA_Boston (MFA-11.39743a-c)

現代では正月遊びの1つとして知られる凧あげは、平安朝以前に中国から伝来したという。その遊事例として記録に残っている最古のものは、徳川御秘書の浜松城記、元亀三年(1752)の条におけるもので5月5日、端午の節句に旗本松平頼母と秀康の客臣とが城の大手前で源五郎凧をあげたとある。日本では江戸時代直前まで貴族や武士の一部で遊ばれていただけで、一般にはあまり遊ばれていなかった。しかし江戸時代に入ると大人から子供まで身分の差なく流行し、烏賊型の凧や金銀を散りばめた豪華な凧など多種多様な凧が現れた。また、紙面に字を書いたのを字凧、絵を書いたのを絵凧という。「子供遊凧あげくらべ」においても大小、色形様々な凧が描かれている。蛸型、鯰型、奴型など変わった形のものもあれば絵凧、字凧たくさんの凧が子供たちによってあげられている。ここで注目したいのは、字凧に書かれている文字である。米や酒、水油、雑穀などの品名が書かれており、これは当時の物価上昇を空高く上がる凧になぞらえて風刺したものである。当時、広く庶民に親しまれ、人気のあった凧だからこそ、風刺画の題材になったといえるだろう。なお、凧あげは通行障害を引き起こすとして禁令が出されたり、明治に入ると電線や高い建物の登場によりあげることが難しくなったりしたために衰退したと考えられる。(香川)

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